コーダ姉の話
今回はコーダ姉の話をする。
俺の姉は2つ上の歳
俺がコーダとしてくよくよ下を向かず生きてこれたのは姉の存在がかなり大きい
大袈裟にいうと
姉がいなかったら
コーダである事を理由に気持ちを塞ぎ込む
タイプの人間になっていた可能性もあるのだ
なぜかというと
俺の家庭は引っ越しもしていないから
小、中学校と2つ上の姉も通っていた学校に
俺も入学して卒業したことになる。
その中で沢山あった
親が障害者であるせいで感じた
嫌なこと
辛いこと
恥ずかしいこと
この全てを2つ上の姉は俺よりも2年先に経験
していたことになる。
だから俺が親の事を恥ずかしく思う時
辛くて消えていなくなりたくなった時も
心のどこかでは
姉さんもこれ経験してきたもんな
っていう気持ちがあって我慢ができた。
俺の姉は両親に普通の常識や健常者
がしている様々な事を教える係のような
立ち位置だったのだ
家庭の権力図
1.姉
↑
2.母親
↑
3.父
↑
4コーダくん
の順番になっていた。
よって、姉が障害者の両親の教育を
している事が多かった。
さらにさらに
姉は両親に
授業参観にくるな!恥ずかしい!
などドギツイ事も話していた。
それをみて両親を俺が同情することもあるくらいだ。
だけど、キツい事を言っている姉をみて
同じような気持ちの俺は心が休まったのも事実
俺は言いたくても言わなくて済んだ
両親からしたら常識を教えてくれる先生
が姉なのだ!
それは今でも変わらない。
コーダは兄弟がいた方が気が楽になる事が多いのではないかと思う。
自分が悩んでいることは兄弟も悩んでいるはずだからな
同じ環境の仲間みたいなものだ
そんなドギツイ姉が田舎を離れ
都会で就職して結婚をした。
結婚式の時に姉から両親へ
感謝の手紙を読む場面があった
耳の不自由な親を授業参観にくるなと言っていた姉が自分の手を使い
手話で両親に手紙を読んで見せた
・今まで育ててくれてありがとう
耳の不自由な親でよかった
幸せだった
、
、
、
俺は感動して涙が流れていた
小さい頃障害を持っている親を
怒鳴りつけ遠ざけていたあの姉が
覚えてくれ言われても
拒否して習わなかった手話を使い
たくさんの健常者の
来客の前で気持ちを伝えている
、
、
、
やはりコーダのほとんどの人はそうかもしれないけど
学生時代は親をいなくなれと思うほど
はずかしい物に感じるが
二十歳を超えたあたりから
障害者でも生活を普通に出来ている
自分を大人になるまで育ててくれていた
って感じで逆に親の障害を
誇りに思える
尊敬するようになるんだよね。
俺も本当いまではマジ尊敬するし
大好きだからね。
なんか思い出したら泣けてくるわ。
コーダの若者達よ
大丈夫、今親を恥ずかしいと思う気持ちは
だめなことじゃないから
それが当たり前。
でも年月がたった時に親を尊敬して誇りに思う
先輩コーダがいるってことは知っておいて
くれよな!
ま、今はわかんないと思うけど
大丈夫!
お前だけじゃないから
おわりっ!
またな!