普通じゃない事を知った日【小学生時代】
【赤点コーダ】
〜普通じゃないと気づいた日〜小学生編
初めは嬉しかったんだ。本当だ。
私は小さな頃からなぜか周りの大人たちに褒められていた。
「コーダ君はえらいねぇ、立派だねぇ」
まだ小学校に上がっていない自分には、なぜ自分が褒められているのかが分からなかった。
その理由に気づくきっかけは小学一年の時の帰りの会での出来事だ。
私が通っていた小学校には、下校の前に行われる【帰りの会】という3分ほどのホームルームがあった。
いつもならば「皆さんさようなら」とクラス全員で口を揃えて挨拶をして下校をするのだがその日は違った。
当時30歳位の女性担任が私を呼び教壇の前に私を立たせた。
40人程のクラスメイトが一斉に私を見つめる。
担任が口を開いた
「コーダ君のお父さんとお母さんは耳が聞こえません。みんなの様に音を聞くことができません。でもその事をからかったり馬鹿にする事をしてはいけません」
打ち合わせも無しに急に起きた出来事に私は
訳が分からなくて胸がドキドキしていた
担任が続ける
「コーダ君には素晴らしい能力があります。みんな見ていて下さい」
担任が私の方を向き声を出さずに口をパクパクさせた
「きょうはあたたかいですね」
音こそないものの口の動きがそう言っていた。
担任が声を出して続ける
「コーダ君、今の口の動きで何を言ってたかわかる?」
私が答える
「今日は暖かいですね。と言っていました」
今度は担任がクラス全員に向けて話し始める
「みんな見ましたか?コーダ君は声を出さなくても、口の動きで何を言っていたのか分かるすごい力を持っているんだよ」
クラスメイト達が驚きの声を上げる
「スゲー!コーダ君カッコいい!」
口の動きだけで何を話しているのか分かる事が
凄い事だという事を 特別だという事を
私はこの時に初めて知る事になる。
私にとっては父親と母親とコミュニケーションを取る方法として、当たり前の事だと思っていたが
担任がしてくれた行動により
この事が普通の人には無い能力だという事を知り
【嬉しい様な、照れ臭い様な】
なんとも言えないが、誇らしい気持ちになった。そして周りの大人達が自分を褒める事の意味が分かった。
この時の感情がその後成人を迎える頃までに
【悔しくて、屈辱的で、恥ずかしい】
捻じ曲がった感情に変わっていき、心に絡みへばり付き
誰の目から見ても
障害者の親を持つ子供としては最低最悪な
【赤点コーダ】
になっていく事を当時の私はまだ知らなかった。
ただ、この時は嬉しかった。
本当だ。