中学時代が1番コーダきつい件
親が障害者で1番キツイのは中学時代でした
さてとりあえず挨拶
このブログを見てくれてるみんな
アイラブチ
ほんっと親が障害者で1番精神的にキツかったのって俺の場合は
間違いなく中学時代
これははっきり言える
自分も含め周りの友達も子供と大人の間で
・ふざけあいも増える
・悪ぶって言葉も変わる
・大人ぶる
・異性関係が出てくる
とかあるじゃん
小学まではまだ子供って感じだし
狭いコミュニティーの中でなんとなく傷つくことも一通り終わった感があったけど
中学になると別の小学校からも集まるから
俺がコーダだって知らない生徒も増えるし
また1から
親が障害者なのを知られたくない
って気持ちも芽生え始めるしね
隠す行為も疲れるし
みなさんもそうじゃなかったかな?
この時期がコーダとしての将来を大きく変える
キッカケが多いと思われる。
俺の場合は中学時代に
たくさーん嫌な思いをしたよ。
もう、数えきれないくらい親が障害者で
悩んで悩んで悩み倒した。
その中から今回はこのお話
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中学になると真面目グループと不良グループ
ってできるじゃんか。
その二つで選ぶとしたら
俺は不良グループだったの
って聞くと健常者の感覚だと障害者の子供だからストレス発散や親とのコミュニケーション不足でグレたんだなって
思われがちなんだけど、まずそこムカつく
別に親が障害者ってのはグレたきっかけには
1ミリも関係ないのよこれが
意外でしょ?
これはほんとに違うくて
悪い方かっこいいなってファッションの影響から不良みたいな見た目になっていって
気づけば不良だなこりゃって流れだね
んで、
中学1年2年3年
それぞれ1年に1回ずつ親が学校に呼ばれたのよ最悪でしょ?
1年に1回は問題を起こして
耳が聞こえない親を学校に呼ばせてしまう子供だったんだよ俺は、、、
1年の時は母さんだけ
2年の時は父さんと母さん
3年の時は両親+通訳者
通訳者をそこに呼ばせたんだよ
そん時の中学は1学年100人位だから
中学の生徒全体で350人位の学校だったんだけど人数増えてもコーダなのは
俺と姉さんだけなの
だから小学時代よりは世界が広くなったとはいえ田舎は田舎
障害者の子供なのに
ハンデがある親を学校に呼ばせてしまう
コーダは日本で俺1人なんじゃないか
と思って辛かった
姉は真面目で呼ばれて事なんてなかったし
日本全体でみればコーダの不良なんて
たくさんいるだろ!
と、今は思うけどそん時は
自分が異常な事をしているんじゃないか
と思ってコーダとして終わってる人間
だと思って暗い気持ちだったね。
↑だったら悪いことするなよ
ってのが正論だけどそん時はしてしまってたんだなこれが。
先生たちは間違いなく親が障害者で子供を
教育できないせいでこの子はおかしくなってるんだって思ってただろうな。
その部分で俺を落ち着かせようと慰めてきたからな
だけど逆に
そう思われんのが1番腹立ってた。
また親の障害をだすのかよって
俺は俺の考えで動いてて親なんて関係ないから!
なにかと障害者と結びつけられるのがほんと
嫌だった。
これは社会人になってからくそ上司にも
似たようなこと言われたけどな。
その話はまたいつか
このブログを見てくれているコーダさんに
不良だった人はいらっしゃいますか?
いたら話聞きたいな!
思い出したら親大事にしてやろって
思った冬のコーダでした。
アイラブコーダ^_^